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お月様 [ニュースから]



昨日がスーパームーン
今日が満月だそうです。

ちょっとタイミングがずれちゃって最接近の時間帯でもなく、
天気も悪くて月に傘がかかってしまっていますが・・・・。


いつもよりぐっと近くにあるお月様に
みんなの祈りが届きますように。

卒業式の前に [ニュースから]

今日、千葉でまたちょっと大きめの地震がありました。

安心して日常生活を送ること、そんなことは先週までは当たり前のことだと思っていました。

大きな地震にショックを受け、
被災地を襲った惨劇に心を痛め、
今度は新たな不安で日々を生きています。

これじゃ身が持たない、と楽しい話題に気持ちを切り替えようとしても
気持ちのとても深いところはいつも何かに締め付けられているみたい。








学校は明後日卒業式を迎えます。
卒業を目の前にして地震や津波に巻き込まれた人もいたのだろうな、と胸が苦しくなりました。

卒業式の日、式の前に被災地の方々に向け黙祷を捧げることになりました。

がんばれクライストチャーチ [ニュースから]

生まれて初めて海外旅行にいったのはクライストチャーチでした。

町中を流れるエイボン川と街の象徴であるかわいらしい教会に感激して帰国してからもその美しい景色が夢の中に何度かでてきたのを覚えています。

その日、市街地を散策していると、道行く人の視線がやけに気になりました。「日本人がめずらしいのかな・・・」と思っていましたが、
突然、その中の一人が私に
「あなた日本人なの?」と聞きました。
そうだと答えると、「家族は無事なのか。」と言われたのです。

私は全然しらなかったのですが、
その日、日本では、阪神淡路大震災が起きていたのです。



私はホテルに行きテレビをつけました。
地震はニュージーランドでもトップニュースになっていました。
テレビに映る映像は瓦礫と、そこから逃げて途方にくれる人々でした。
よくわからない英語で状況もつかめないまま、
「これは本当に日本なんだろうか」
「これは本当におこっていることなんだろうか」
と息を飲んでテレビを見つめていました。


次の日も、次の日も、日本人と知るとニュージーランドの方々が声をかけてくれました。


あの美しい街の、優しい人たちが、今度は被災者になっていると思うと、とても心が痛みます。

今現在まだ不安な気持ちで瓦礫の下にいる方達がすこしでも早く安全で安らげる場所へいかれますように。


阪神淡路でも、多くの被災された方々、未だにまだ心に傷を負っておられる方々はたくさんいらっしゃいますが、それでもそこから見事に復興を果たされました。人間の力のすごさを感じました。

私は何もできないけれど、クライストチャーチのみなさんを心から応援しています。

自白の強要 [ニュースから]

冤罪で17年ぶりに釈放された菅谷さんのニュースが連日報道されています。
菅谷さんがいろいろ話されている中で、一番心が痛むのは「自白を強要された」ということです。警察にも立場があったのでしょうけれども、人の人生をなんだと思っているのでしょうか。いくら謝っても失った時間は戻らないのに。


自分のことではないけれど、私にも辛い思い出があります。
日本語教師をしていたころ、私のクラスの学生の一人が決められた時間を上回るアルバイトをしていたためにある日突然入国管理局の職員に掴まり、そのまま学校へ戻ることなく、国に帰されてしまったのです。

彼はインドネシアの学生で、非常に真面目でした。真面目に勉強して、授業中に疲れた様子や眠そうな姿を見せたことがありませんでした。だから私たちもそんなに働いているとは知りませんでした。真面目に大学を目指して、大学に入ってからの学費を少しでも稼ぐために危険を冒して働いていました。

入国管理局は彼の来日目的が、金稼ぎにあると決めつけ、本人にそう言わせるよう厳しく問い詰めました。友人達は署名を集め、私も遅刻欠席のない彼の出席簿を提出しました。交渉しましたが、出席簿などは学校側でいくらでも作れると決めつけられ、相手にされませんでした。

何日も彼のいない暗い雰囲気の授業が続きました。時々来る電話では、必ず助けるから頑張るように、と伝えていました。

でもある日、「もう私は帰ることに決めた」と学校に電話が来ました。私は新幹線に乗って、最後に彼に会いに行きました。帰国の前日でした。
「どうして帰るといいましたか。」と聞くと、「私はもう疲れました。」という返事。もう心は決まっていました。


本当に勉強したい若者の、それこそ人生を変えてしまった入管に対し、怒りが収まりませんでした。よくわからない日本語で毎日責められるのは彼にとってどんなに恐いことだっただろうと思うのです。連日そんな目にあって、ついに自ら「国に帰る」と言ってしまった。それに対して何もできなかった自分たちの無力も情けなかったです。

実はそのとき、彼のまさに志望している大学から、いい学生を紹介してほしいと申し出があり、私たちは彼を推薦するつもりでいたのです。でもそれはあまりに気の毒で言えませんでした。


彼が帰ってしまってから、暗い顔をして授業をしていた私に、「先生、元気出して」と言ってくれたのは自分たちも辛いはずの彼の友人達でした。私はインドネシアの学生が大好きです。




あれから3年、彼はインドネシアで、日本の自動車の会社に就職しました。あんなことがあっても、日本を日本人を嫌いにならないでくれました。
時々メールがきます。
「先生、わたしまた日本にいきたい。でもまだパスポート ブラックリストです。」

サザン~。 [ニュースから]

ほかの誰もがそうであるように、サザンの活動休止のニュースは私も超寂しい~

自分はサザンのファンだ、と自覚していなかったのに、このニュースを聞いて、サザンの音楽は自分の思った以上に自分に近いところにあったのだと気づかされた。

思えば、人生のほとんどのシーンが何らかのサザンの曲で彩られている。
子どもの頃は、毎週「ザ・ベストテン」を見て、
新曲が出たらいち早く覚えて友達と教えあいっこしていた。
先生の前で「C調言葉にご用心」を歌ってほめられた思い出もある。
(意味もわからず・・・・。)

中学生の頃は、「You & I」などの貸しレコード屋にちょっちゅういって、
カセットテープにとった「ミス・ブランニューデイ」なんかを
テープが伸びるほど聴いていた。

学生の頃はカラオケ全盛期で、「みんなのうた」をみんなで歌った。
サザンが歌いこなせる人ってなかなかいなくて、
上手な人はそれだけで株があがったりしていたなあ。


オーストラリアに留学したとき、大江千里が好きだった私は、いつでも聴けるように彼の曲はほとんどVAIOに取り込んで持って行っていた。
でも、あのとき本当に聴きたかったのはとにかくサザンだった。
私はサザンなしではいられないのか!自分でびっくりだった。
日本に帰って、ああ、やっとサザンが聴ける。嬉しー!と思ったものだ。


あまりに長く身近にあるので、いて当たり前だと思っていた。

でもやっぱり、サザンってすごい。
いなくなってほしくない。

「かならず帰る」と言っている。ほんとに、ほんとに待ってます。

もしも車がなかったら・・・ [ニュースから]

長年乗ってきた愛車、パジェロミニを手放すことにした。
パジェロミニが発売されてすぐに購入したので
かなり年季が入っている。燃費も悪い。

新車にしてわくわくするかとおもいきや、
別れる寂しさでいっぱい。

購入したときは若かったし、スキーやスノボで大活躍だった。
車に乗るのが大好きだから、北は青森、南は山口までこの車で行った。
ホテルもとらない気ままな旅で、高速道路のパーキングに止め、
狭い室内で眠ったっけ。

リコール車問題で一時評判を落とした三菱だったが、
私の車も例外でなく、ある時はエンジンが煙をふき、
ある時はブレーキの調子が悪くて結局エンジン丸ごと
取り替えてもらったりした。
いいことも悪いこともいろいろあったなあ。

なんだかんだいって三菱とのつきあいも長くなり、
なんとなく愛着があるのでまた三菱に乗ることにした。
ekワゴン。燃費も前よりずっといい。
今日契約してきた。



ところが、これでガソリンに頭を悩ませずにすむ、
と安心したのもつかの間、「近い将来ガソリン300円台に突入」
のニュースが。

これじゃ買い換えたって追いつかない。
車を手放す人も多いという話。
今までの人生、どれだけ車にお世話になっていたことか。
車がなかったら、あんなこともこんなこともできなかった、と
改めてありがたさを実感。ほんとに買うべき?手放すべき?
いやー、無理無理。保育園のお迎えもあるし、車なしなんて
考えられない。

車についてうんと考えさせられた週末だった。
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