成田スカイアクセス! [日常生活]

ちょうどプレイログが使えなくなったさる7月17日、羽田と成田を結ぶ「成田スカイアクセス」が開業しました。



停車駅の一つに、私たちも見物にいきました。




駅前は出店がたくさんでていました。色んなイベントもあるようでしたが、行った時間はちょうど何もなく、人混みもそれほどでもありませんでした。

スカイアクセスもしばらく待ってみましたがなにしろ暑くて、そんなに熱烈な鉄道マニアでもないためすぐにあきらめて待つのをやめてしまいました。

ガチャピン、ムックがこの日、停車する駅を転々とまわってイベントをしていたようで、娘はそれが楽しみだったのですがあえなかったのでこっちで記念撮影








つまり、電車もガチャピンも見れなかったのですが、雰囲気だけたのしんできました。いつもは車で成田ですが、次に海外に行くときは乗ってみたいです

嬉しい再会 [日常生活]

再びTDRの話題です

私が昔、長野の日本語学校で働いていた時の懐かしい友達が結婚しました

私よりずっと若いけどかわいくてしっかり者で、共に県外から来て採用されたよそ者なので何かと助け合って家族のようにお付き合いをしていました。

その後私は千葉に戻ることになりました。それから半年後、彼女もお父様が他界され実家の九州に帰ることになってそれきり会えませんでした。

事情が事情だけにお別れする頃は彼女の悲しそうな顔しか見ていなくて、この度結婚のお知らせをいただいた時は本当に嬉しかったです。


彼女が新婚旅行に選んだのがTDR

しかもあこがれのホテル「ミラコスタ」と「アンパサダーホテル」にご宿泊
週初めできつくはありましたが、大きくなった娘を連れて行って参りました

旦那様はすごく感じの良い方で、彼女もとっても幸せそう。一緒にいる私も幸せな気分になりました。

おめでとう~~
あえてよかった。


これはアンバサダーホテルで食べたケーキ。
ピアノの形でかわいい

そろそろパレードの時間だからと二人はディズニーランドへ行きました。
ディスニーランドの近くまで行って入れない、なんて娘は納得せず帰りたがらなかったので、隣接するイクスピアリをちょっとお散歩。

イクスピアリだけでも結構楽しめます。




それでよしておけばいいのに、「パークの外からでも花火が見れるかな」、とうっかりいってしまったため、それから長~い間道端に車を止めて花火がなるのを待つことに。
パーク内から聞こえる音楽はすごく盛り上がって、今にも花火が上がりそう!!っていう場面が何度も訪れるんだけど、いつまで待っても何もおこらず、とうとうそのままショーの音楽も終わってしまいました。
私たちと同じことを考えていた数台の車もあきらめて帰って行きました。

娘は後部座席でねておりました



次の日は眠かった~。もちろん娘も眠かったことでしょう。
今度はちゃんと中に入ってあそぼうね







 

夢と魔法の王国がくれた物 [日常生活]

私は学生の頃東京ディズニーランドでアルバイトをしていました。

土曜、日曜、祝日は必ず出勤、夏休みなどの長期休みは早朝出勤、学校よりもアルバイトに費やした時間の方が長いくらいで、アルバイトで得た友達とのつながりは私にとってとても大事な物になっていきました。

学校の違う人たち、趣味の違う人たち、年代層にも幅がありました。まだ社会経験の浅い私にとってそこは楽しく新鮮で刺激に満ちた職場でもありました。


そんなアルバイトも辞めてしまってから○十年。

ある時、その中のとても懐かしい方から人づてに「mixi内に元バイト仲間のコミュニティを立ち上げたから入らないか」とお誘いが。
おかげで久しぶりにコミュニケーションをとれた方もいました。でも、ちょっと私のバイトの時代とメンバーさん達の時代がずれていたのであまり参加していませんでした。そんな時、昨日とてもショックなニュースが・・・。

その方が、6年の闘病生活の末お亡くなりになったそうです。
旦那様がその方の代わりに日記でご挨拶されていました。


夢と魔法の王国が私にくれた物はたくさんあるけれど、一番大きいのは仲間たちとの絆。それを再び作ってくれたあなたが先に逝ってしまうなんて。
しばらくぼんやりして、信じられない思いでした。


さようなら。
それから、ありがとう。
あなたのこと忘れません。


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山のお寺の鐘が鳴る [日常生活]

成田の宗吾霊堂です。



この時期はあじさい祭です。
今にも雨が降りそうでしたがせっかくなので行ってきました。



こんなところにも紫陽花。かわいい。







いよいよポツポツきたので帰ろうとすると、なにやら携帯片手におじさんが鐘撞堂の方へ。
なんとなく見てたら、おじさん大きく鐘をつく動作をして、今にも音がなりそう

「あっ、あっおじさん、ダメダメ。ダメだよ。そんないたずらしちゃ」と声に出そうになったそのとき、ついに

「ゴ~~~~~ン



・・・・時計を見たら、5時ピッタリなのでした。


その方は正真正銘、住職さんでした
住職さんはこんな服装で・・・・っていう固定観念があったんですね。
あまりにラフな格好で登場、そして時間ピッタリに鐘を鳴らすために電話の時報を利用していたという現代的な住職さん。すっかりどこかのおじさんだと勘違いしてしまいました。失礼しました

サンサンSUN [日常生活]



今日はプール開きでした。

天気は快晴
子ども達は大喜びで気持ちよさそうにはしゃぎまくっています。

しかし、お肌の曲がり角をとっくに過ぎたわたくしにとって、このプール指導は恐怖の時間。

ちょっと前まで運動会練習で毎日紫外線を浴びまくっていたのにこんどはこのプール。しかも週4回8時間

今日もUV対策バッチリだけど、
無邪気な子ども達が「それ~!!先生~!!」と水をかける
顔にかかろうものなら「こら!やめなさい」←かなり本気モード


これ、若い頃からず~っとやってるんですよね~
肌もそりゃ痛みます。



今年70歳になる母は、私と体質も肌質もよく似ているのに、未だにすごいきれいな肌をしています。私だってもっと若いときは自慢じゃないけど肌がきれいと人に言われたものですが、最近はもうひどいもので・・・・。

何が違うのか、と言われたら、生涯に浴びた紫外線量、としかいいようがありません。母は若い頃、東京のデパートで働いており、ほとんど日に当たらないモグラ生活をしていたのです。


う~ん。この仕事に就いている宿命ですね。
この仕事を目指したときにはこんなことまで考えなかったわ。

 
明日もせいぜいUV対策に力をいれましょう

チビでも立派な・・・・ [日常生活]

昨日、6月15日は千葉県民の日でお休みでした

学校は休み。
教職員は本当は勤務を要する日ですが、私は有給を使って休みました

そして娘と一緒にボーリング場へ

今度、娘の学童保育でボーリング大会があるのですが、娘は一度もやったことがないので練習をかねて行ってみました。


チビっ子なので当然ガーターなしのファミリーレーンを予約。

娘はお約束のようにボールを真下にたたきつけたり両手でもってフラフラしたりしながらなんとかゲームをこなしていきました。

上手く行かずにふてくされそうになったそのとき、偶然の奇跡の一投が居並ぶピンの中央近くに当たり、なんとストライク!!!


ところが悲劇はそこからで、機械の作動ミスで「9」とスコアに記され、前面のモニターに馬鹿にするようなキャラクターが登場して「あと1本。とれるものならとってみな」という挑発メッセージが

モニターに「やったね」「おめでとう」「さすが!」みたいなメッセージがでるのを期待していた娘は「ギャ~」と泣き出してしまいました。
私はあわてて手動でスコアを直したけど後の祭り。スコアは直ってもお祝いメッセージは出ず、でした。

娘は何をするかと思いきやフロントに走っていって抗議をしはじめました。
結局お店の人もスコアが直ったんだからいいでしょ、的な感じで娘の納得するような対応ではなかったのですが、その後なんとか気を取り直してゲームを楽しむことができよかったです。





自分で抗議しに行くとは思わなかったです。
走ってフロントに行く姿をみて母は思いました。

チビでも立派なクレーマーだって。
末恐ろしい・・・・。

聞けなかったこと [日常生活]

昨日、イオンでぶらぶらしていたら、見たことのある女の人とすれ違いました。

考えることしばし。

それは、10年も前に担任をした女の子のお母さんでした。


彼女は重い障害がありました。
てんかんの発作もあり、私は3年間彼女につききりでした。
まだ若くて経験の浅い私には責任の重すぎる仕事で、その重圧からくるストレスに悩まされていました。


それでも体当たりで接してきたことは無駄ではなく、お母さんはそんな私を信頼してくれるようになり、修学旅行での服薬でもめたときにも「先生の判断で投薬してこの子に何かあっても私は文句言わない」とその子の命を預けてくれるほどになりました。(実際には学校での医療行為は認められておらず、何かあったときには病院に搬送するしかないのです。でも、そこまで信頼してくださったことがありがたかった。)私にとって、私自身を一番成長させてくれた、かけがえのないお子さんです。重い障害のある子を抱えながら、ものすごくたくましく生きるお母さんの姿に頭の下がる思いでした。


そんな彼女も卒業し、20歳のお祝いの時には私も駆けつけました。

私がオーストラリアへ行ったときにも時々手紙をくれ、彼女の様子を教えてくれました。
器用なお母さんで、結婚したときには忙しい間を縫ってティアラを作ってくださったり娘が生まれたときには「おむつを入れるのに便利よ」と手作りのマザーバッグをつくってくださったりしました。


ところが私が何度か引っ越すうちに連絡先がわからなくなり、私が出した年賀状ももどってくるようになってしまい、その後何年も連絡がとれない状況がつづいていました。




お母さんは別の女性と歩いていました。
彼女は?いつも一緒だったのにどうしていないの?



イオンはよく、いろんなイベントを行うのですが、もしかして彼女が卒業後に通っている作業所が出店するイベントがあるのかも?
私は1階のイベントの会場に行ってみました。その日のイベントは「エコフェア」。市内の障害者の作業所も出店していましたが、彼女の作業所は参加していませんでした。


それきりです。



追いかけて探せば追いついたかもしれない。
でも、足が動きませんでした。



当時、彼女はお医者さんに「20歳くらいまでしか生きられないでしょう。」
と言われていたのです。

生きていれば29歳。
追いかけて、彼女のことを尋ねるのが怖かったのです。


ただ、ほっとしたことは、
すれ違ったお母さんが、笑顔だったこと。




最近のイベントより

窓から見る夕日 [日常生活]

ここ何日か、ログ友さんの記事を中心にいくつか夕日の素敵な写真を見せていただいたので、私も撮ってみました

私の部屋は3階ですが、窓からこんな夕日を見ることができます。



この夕日を受けて団地の棟があか~く染まります。

宇宙人の母 [日常生活]

近所の書店で「手相フェア」をしていました。

はっぴを着たおじさん、おばさんがチラシを配って呼び込みをしていて、「運勢の本を買うと売れっ子鑑定士がサービスで手相をみてくれる」というもの。

娘が飛びつき、私も物は試しで二人でみていただきました。


本のおまけなので期待はしていなかったんだけど、
「あなたは35歳が転機で、それまでは一人でなんでもして生きてきたんだけどそれからは周りの人に非常に恵まれて助けられて生きている」と言われ、全くその通りでびっくりしました。

そして気になる「あのう、娘にパパはできるんでしょうか。」という質問に対しては「今のところ結婚線はでてないけど、43歳で開運するから、それがどんな形ででるかね。結婚線がまた出る人もいるし」という、お言葉でした。要するに、結婚してもしなくても43でいいことがある、ということですね。それはよかった


ワクワクして手をだした娘

なんと知能線がかなり変わっていていわゆる「不思議ちゃん」だそうです。
人と同じことはしないで、親がびっくりするような変わった才能が花開くこともあるそうです。
しまいには「宇宙人」と言われてしまいました。

うすうすわかっていたけど、そんなにはっきり・・・・
「こんな子なかなかいないですよ~。」といわれることも結構あり、それが手相にちゃんと表れているなんて、手相って馬鹿にできないですね。
帰るときにもしっかり「いやあ、個性的なお子さんをお持ちで・・・。」と言われました。


「エジソンの母」というドラマがありましたが、今日私は「宇宙人の母」として生きる覚悟をしました。
占い師さんいわく、「学校の枠にはまらない」(もう兆候あり)そうなので、そのことで子どもを叱ったり、はめようとしたりするのはやめようと思います。宇宙人が大きくなるまで、一番理解して一番そばにいる存在になってあげようと決めました。






帰ろうとしたらすかさず娘は「結婚は?」。占い師さんが「どれどれ」と見てくれた結果は29歳。大恋愛すると言われてご満悦で「ばいばーい」と書店を後にしました。

地底の巨大なまず [日常生活]

神社やお寺に行くのが好きです。
亡くなった祖父が神社が好きで、子どもの頃よく近所の神社やお寺まで一緒に散歩をしていたからかもしれません。


千葉の香取神宮です。家から車で1時間くらい。




ご神木は樹齢千年以上で、大人4人が手をつないでもつなぎきれない程の幹の太さだと説明書きにありました。圧倒されます。




「要石」。千葉に地震が多いので、石の柱を地面に刺し、これが地底のナマズの頭に突き刺さっているということです。おかげで大きな地震も無く今のところ過ごせていますが、さぞナマズは痛いでしょうね。いつかナマズが逆ギレして大地震が起きないことを祈ります。あの江原氏はここからものすごいパワーを感じるとおっしゃっていましたが、私は凡人のため何も感じず


境内から駐車場までケンケンパ。負けると機嫌が悪いので適当に勝たせました

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